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2009年4月18日 (土)

大河の轟き

 JR東日本の信濃川からの不正取水が発覚したことを受け、国交省はその水利権を取り消した。水生環境や水道事業などに対する好ましい効果も、もう少し時間を経なければ判らない。

Dsc01023_2  普段、川から離れた場所で生活しているものにとって、これまでは年に2~3度の大雨洪水時に、貯水池ダムの取水ゲートを開放する時以外に信濃川の瀬音を聞くことはなかった。水利権取り消されたことで川に水は戻ったが、わざわざ見にでも行かない限り、瀕死の大河に水が戻ったことを実感することは難しいと思っていた。だが信濃川から4Kmほど離れた高台にある我が家でも朝の静けさの中、耳を澄ますと毎日その川が流れる音をはっきり聞くことが出来ると気づいた。「ザァ~~」とも「ゴォ~~」ともつかない底から響くような轟音はさすが大河信濃川である。今朝は晴れた青空の下、遠く信濃川の上に川霧がかかっているのが見える。気のせいだろうか、水量が増えたためだろうか川霧はこれまでより雄大な気がするのは気のせいだろうか?

 子どもの頃を思い出せば、「大河(おおかわ=信濃川のこと)は危ないから近づくな!」という校則があった気がする。規則を破り秘かに悪童達と遊びに出かけた思い出・・・ 川面いっぱいに流れる清流、岸辺の森の中では伏流水の冷たい澄んだ泉がいたるところから湧き出し、大きな池となってひかり輝いていた。多感な少年にはその水中も水辺もまさにワンダーランドである。その川に水が流れなくなり石だけの河原が広がる光景が30年あまりも続いてきた。輝いていた岸辺の泉は枯れ果て、今では木が生い茂り荒れ放題になっている。今一時的にせよ水は戻ったが、かつての水辺の環境がそう簡単に戻ることはないだろう。元のようになるにはこの先何年かかるかわからないが、もう再びやすやす水を取らせることはがあってはならない、人も魚も植物もみんな川のおかげで生きている。

 あれまで不正に水を掠め取っていたことを、地元の人も知る人はいなかった。そして今、発電が出来なくなっても電車はいつものように変わりなく動き続けている。電力不足で電車が止まるようなことでもなければ・・・水力に限ったことではない、原発でも恩恵を受ける都会は、地方を犠牲して住んでいるということはこれから先もずっと感じることなくいるだろう。

 農作業が始まる今、農業用水に限って取水の再開を許可したというが、その水で発電した電力は自社の鉄道電力に使いたいという。ペナルティを科せられた企業が自家用電力にするなんてに許せない、まさに「泥棒に追い銭」。 取水のために発生する電力はJRには一切使わせるべきではない。その分は使用料を徴収するくらいの気概を持った為政者はいないのか<`ヘ´> これでは懲罰の意味が薄れてしまう。

 

 

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