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2009年5月15日 (金)

脅迫まがいの寄付

 地域の鎮守に奉仕する青年団が、神社に奉納する幟旗を更新したいと総額ウン十万円もの寄付を募っていた。当初は町内会で一括寄付をお願いしたいと数万円の依頼があった。一世帯あたりにしたら千円にも満たない金額だが、緊縮財政の町内会でもあり、思想信条やこと宗教に係ることだから、それぞれ各戸に伺ってもらいそれぞれに対応してもらうことになった。暫らくして趣意書が廻り、そして我が家にも寄付を募るメンバーが連れ立ち奉加帳を持って現れた。寄付集めの常道だが最初のページには×万円から数千円の金額と個人名がズラリと並んでいる(@_@) このペースで集まれば目標金額を遥かに越える金額が集まるのは明白。

 普段・・・といっても初詣に行って手を合わせるという程度の信仰心は持っているので、神社への自主的寄付は金額の多少にかかわらず否定するつもりはない。しかし、横並び意識を逆手に取り屈強そうな大の男が徒党を組んで?訪れ、高額な金額が書かれた奉加帳を示すことで寄付を募る行為は妥当と言えるだろうか。募る側からすれば大勢で行くことで精一杯の誠意を示すつもりでもあろうが、押しかけられる側にとってみれば、大勢でで来られたら寄付そのものを断ったり小額な金額を示しづらく、これは圧力そのものであり脅迫紛いの行為に等しく感じる。

 そもそも寄付とは善意を伴う自主的な行為でなくてはならない。自己主張が出来ず気が弱い人やお年寄り・女性の立場に立ったなら、「神社のことだから・・・」という諦めにも似た心境で、前の人の金額に準じた身の丈以上の寄付に応じたり、不本意であっても近所の手前とやらでお隣さんと同じ金額を出したり、商売をしている家なら付き合いで応じざるを得なかったり・・・しかし我が家はケチと思われようがへそ曲がりと思われようが、付き合いや横並び意識は一切無視し一軒だけおおよその世帯割分、ひと桁違いのお金を寄付したが、何だか全く釈然としない。神社の幟旗ってそんなに高額なんだろうかという疑問が浮かんできた。

 寄付をお願いするということは目標金額を示し「いかほどでも結構です」というのが募る側の義務と思うが、大勢で押しかけ、誰が幾ら出したかを公然と示し横並び意識に便乗する脅迫的やり方はボッタクリに等しい。今回の場合、目標金額より多く集まった分はどうするツモリだろう? それ以前に問題の本質は、特定団体が行う神社への奉納をどうして地域住民が負担すべきかということだ。出来上がった幟旗の奉納者銘がその募金団体であったら絶対許せない。こんな寄付の仕方を永年続けている体質が問題だ。青年団やOBの「神社のことだから・・・」という特権意識の根本を変え、それを受容する寄付側の意識も改めない限り、これからも未来永劫続くだろう。

 古い壮大な神社仏閣を見ると、つい「昔の庶民も労役や寄付に泣かされただろ」と想像してしまう。自分自身、寄付や協賛をお願いする立場になることもあるが、そうした時は充分気をつけないといけない。

 

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