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2009年11月 6日 (金)

走れ!ケー100

 確か9月頃だったろうか、突然会社に電話があった、「十日町オートクラブって今でもありますか?・・・」電話の主は、35年ほど前の「子供向け人気テレビドラマ、大野しげひささん主演の『走れ!ケー100』の製作関係者」という。話を聞くうちに、その「ケー100の散逸した資料をまとめて出版物を作るので、完成後に関わりのあった方々に贈りたい」ということだった。心当たりがあり有り難く頂戴することにして住所を連絡し電話を切った。

Cimg0351 そして先日、ケー100記念誌製作委員会から1冊の立派な記念誌が届いたのだ。今回頂いた資料は、その時電話をかけてきた当時の番組プロデューサーと思われるSさんらが中心となって製作したもののようだが、これから改めて連絡を取って確認しようと思う。記念誌の内容といえば、全51話が1話1ページに出演者のスチールやロケの様子、製作スタッフの裏話、苦労話などが満載。スタッフの番組に賭ける熱意が伝わって来る。その他にはケー100が各地のイベントで活躍する様子を収めた番外編、資料集、設計図、ベースとなった車両の紹介などあらためて興味を思い起こさせる力作でした。

 当時子供だった40歳半ばから50歳位までの人なら「走れ!ケー100」と聞けばピンと来るだろう。そもそも「走れ!ケー100」とは何ぞや?という方はここに詳しく書いてある。TBS系で放映されたそのドラマは、端的に言うと主人公がスクラップ寸前の機関車に乗って全国を旅をする行く先々での出会いのドラマ、そして機関車ケー100は旅するうちに感情を持ち喜怒哀楽を態度で示したような・・・。北海道から沖縄までのオールロケで撮影され、本県では佐渡と咲花温泉編の2話が放映されたと資料に書いてあった。その辺りはケー100フアンが開設したサイトに載っているのでご覧ください。さて、そのケー100と私の関わりというと話は長くなるのだが・・・ 

 40数年前に運転免許を取ったばかりの頃、当時は日本にもようやくマイカー時代が到来という頃である。一般庶民や若者でもどうにかクルマを持てる時代が始まった頃だった。そんな時代はモータースポーツなんて誰も知らない。もし見聞きしたところで「あぁ、金持ちの不良ボンボンがクルマをブイブイ・キーキー云わせ壊して遊んでる」といった偏見で見られるのが普通であった。まぁそんな状況は40年後の今だってそんなに大きく変わっちゃいないけど (~_~;)  貧乏で財布は軽くてもクルマに興味があった私は、仲間とグループを作り各地の競技に出たりしていた。しかし世間の見る目はどうしてもカミナリ族(やがて暴走族という言葉に取って代わるが・・・)。そんな時代、クラブ組織として社会活動に参加したり交通安全活動をしたり、時には地域の祭りにも積極的に参加して偏見を払拭しようとしていた頃だった。

 ケー100が放映されていた年の冬のこと。仲間が勤めている板金修理工場にたまたま1台の小さい雪上車があった。「雪まつりの当日これを雪上で走らせ、子供たちを乗せてあげよう!」ということになった。しかし、小さな雪上車だから大勢いっぺんには乗せられない。そしてただの雪上車では面白みがないから何か改造を施し、そりを引っ張って大勢を載せようと構想は膨らんだ。ちょうどその頃テレビでは「走れ!ケー100」がヒットしていた。これだと思いそのテレビ画像を参考に機関車の形に作ることになったが・・・まだ家庭用ビデオが現れるもっと前の時代のこと。週1放送のテレビの前でカメラを構えて写すのだが、機関車のクローズアップ映像がなかなか上手く撮れない、準備の時間はどんどん過ぎ去る。最後の手段としてテレビ局に電話を入れ、番組製作プロダクションと直接交渉し、ようやく青焼きの図面と写真を手に入れた。今にして思えば、怖いもの知らずというか世間知らずというか、とにかく若気の至りであった。ただし「営利では使わない」という条件付である。だから料金収入は当てに出来ない、ということは収入源ゼロだから制作費も殆どなしということになる。 幸い修理工場主に理解があり、工場も道具もすべて無償で借りられ、約半月ほど文字通り寝食を忘れ?仲間のKさんと製作に没頭した。先ず雪上車のボディを解体し、木で骨組みを作った上に薄いベニヤで機関車本体を作る。しかしベース車両が本家と異なるため、なかなか本物のフォルムに近づけず、試行錯誤を繰り返す。機関車前部の釜の部分を作るのに苦労した覚えはあるが・・・どうやってあのアールを出したか今では記憶がない。金物屋でボウルを買ったり、トタンを曲げたり、蚊取り線香の缶や灰皿・ゴムホースなど使えそうな廃品を集めあっちこっちのパーツに使った。

 板金塗装や機関周りはkさんのお得意分野、私といえばデザインや木工とそりの意匠、絵を担当。いまどきであれば、鋸やインパクトドライバー、ありとあらゆる電動工具を持っているから簡単に作業が進むであろうが、当時はすべて手道具!そんな苦労をしながら二人を中心にクラブ員総出でどうにか完成。お披露目の祭り当日のオープンパレードでは市内の目抜き通りを自走しようと準備をしたが、最後まで警察の許可を得ることが出来ずやむなくトラックに載せて参加した。誰も本物を見たことがないから、みんな本当にケー100がやってきたと勘違いされるほどの出来栄えで話題を呼んだ。

Cimg0352_2  祭りの本番の2日間は、ちびっ子達で押すな押すなの大盛況。2台の大きなそりに1回20人ほど乗せ3mの積雪の上を力強く引っ張り、休む暇がないほどだった。番組中では主人公が機関車運転席で実際に操縦するのだが、我がケー100は似非運転士が本物そっくりのメークで大野さんかと勘違いされる・・・しかし、実際の操縦は釜部分の狭い空間にいるKさんが、前部のプレートに貼った網の小さな隙間から覗いて運転していた。 煙突にディーゼルの排気ガスを導いたのだが、どこかで少しづつ漏れていた。そして休まず運転を続けるうちガス中毒のような症状となって、一時運転中止のハプニングもあった。そして大盛況の祭りが終わったにも拘わらず、乗れなかった市内の幼稚園児のため、吹雪の中をもう1日出動すると云うおまけも付いた(*^_^*)!!

File0002_3 今回送っていただいた資料出版物の巻末の一部には、その時作ったケー100の写真とともにそんなエピソードの記述もあり、懐かしく思い出しながら見ている。その後、我がケー100は、その図体の大きさのため、収める車庫もなく雨ざらし。雪が解け夏の祭りに何度か駆り出されたのだが、やがてベニヤの車体に傷みが出て1年ほどで解体されてしまった(T_T)。これを機にクラブ事務局に当時の資料が残っていないか探してみたいものである。ともあれ何とも懐かしい思い出を呼び起こしてくれた一冊である。 尚、実際に番組でケー100が走る様子はユーチューブにアップされていたのだった。

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