2010年2月15日 (月)

雪像作り新兵器?

町内会の雪像作りが11日の日中から本格的に始まりまった。 明日の夜からはいよいよnight夜間作業に突入。 ところで、完成イメージや現場の様子など画像をアップしなけりゃならないだが・・・ このところパソコンpcの具合が悪くとうとう入院、マザーボードが原因かそれともハードディスクが悪いのか? HDDならデータが心配。そんな訳でPCが退院するまでブログ更新もままならない。サブPCを立ち上げてみたが、肝心のデータがメインに保存してあるので困っているsweat01

 明日は究極の新兵器を作業開始までに仕上げて使ってみる予定だ。それは先日手に入れたプロジェクタ! 屋内で使うデリケートな機械を寒風吹きさらす屋外で使うのはいささか乱暴な気もするが、それもこれも最高の賞を狙うため。そのためにプロジェクタを風雪や寒さから守るケースを作った。大型の三脚の上にボードを固定し、ホームセンターの特売で売っていた透明なボックスを載せて固定。中にクッションで動かないようにプロジェクタを収める。熱気がこもらないように通気口を開けたり融けた雪が中に入らないよう開口部の上にはプラ段で作った小さい庇を取り付けたが、効果は実際やってみないと判らない。レンズや機器の結露も心配だ。毎年、雪像つくり以外にもいろいろ作るものがあって面白い。どんな風に使うか上手くいったら画像をアップしたい。詳しくは別ブログの雪像製作日誌で・・・

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2010年2月10日 (水)

雪まつり雪像製作日記はじめました

 間もなく第61回十日町雪まつり、我が町内の雪像作りも連続15年目。毎年その製作の模様をこのブログで書いてきましたが、今年から新たに雪まつり専用のブログ《snowスノーマンの雪像製作日記》を開設しました。

 まだ未完成ながらとりあえず公開ということで、左サイドバーの最上部にリンクを張っておきました。興味ある方はポチッとクリックしご覧ください。

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2010年1月29日 (金)

今年も始まった

 来月19日に開幕する第61回十日町雪まつりに向け、町内の雪像製作作業が始まった。今年は『拓く』と題し、一対のマッチョな仁王像が扉を開くという構図である。混沌として先が見えにくい今を力強く切り開こうと言うメッセージを込めた作品。雪像製作コンテストと言う性格からまだ詳しいイメージ図を公開できない。今年も今日以降、順次製作の進行過程を追いながらブログで公開していく。

Cimg0568_2  27日現在の製作現場積雪量はおよそ180センチ、昨年に比べ3倍以上あるが、これではまだまだ不足。180センチの雪は土台のために踏み固めたられ、実際の雪像製作用の雪は全て他所から運び込む。Oさんは例年のように仕事の合間を見て2日間で6メートルほど積み上げてくれた。この後、足場を組んで型枠に添って人力で踏み固めながら垂直に積み上げ更に雪を運び込む予定だ。

 町内が雪像製作に参加するようになって連続15回目。製作参加者もそれだけ歳を加えてしまった。次第に高齢化?し人力作業はかなりしんどい。メンバーの中には何人か転出者もいて製作人数はジリ貧気味、若者が加わってくれるといいのだがそれもなかなか適わない。始まってしまえば次第に燃えてくるのだが・・・最近はそこまでに至るのが以前に比べ時間がかかってきたdown。しかし、始まったからには3週間後に向け今年もがんばって行くしかないdash

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2009年11月 6日 (金)

走れ!ケー100

 確か9月頃だったろうか、突然会社に電話があった、「十日町オートクラブって今でもありますか?・・・」電話の主は、35年ほど前の「子供向け人気テレビドラマ、大野しげひささん主演の『走れ!ケー100』の製作関係者」という。話を聞くうちに、その「ケー100の散逸した資料をまとめて出版物を作るので、完成後に関わりのあった方々に贈りたい」ということだった。心当たりがあり有り難く頂戴することにして住所を連絡し電話を切った。

Cimg0351 そして先日、ケー100記念誌製作委員会から1冊の立派な記念誌が届いたのだ。今回頂いた資料は、その時電話をかけてきた当時の番組プロデューサーと思われるSさんらが中心となって製作したもののようだが、これから改めて連絡を取って確認しようと思う。記念誌の内容といえば、全51話が1話1ページに出演者のスチールやロケの様子、製作スタッフの裏話、苦労話などが満載。スタッフの番組に賭ける熱意が伝わって来る。その他にはケー100が各地のイベントで活躍する様子を収めた番外編、資料集、設計図、ベースとなった車両の紹介などあらためて興味を思い起こさせる力作でした。

 当時子供だった40歳半ばから50歳位までの人なら「走れ!ケー100」と聞けばピンと来るだろう。そもそも「走れ!ケー100」とは何ぞや?という方はここに詳しく書いてある。TBS系で放映されたそのドラマは、端的に言うと主人公がスクラップ寸前の機関車に乗って全国を旅をする行く先々での出会いのドラマ、そして機関車ケー100は旅するうちに感情を持ち喜怒哀楽を態度で示したような・・・。北海道から沖縄までのオールロケで撮影され、本県では佐渡と咲花温泉編の2話が放映されたと資料に書いてあった。その辺りはケー100フアンが開設したサイトに載っているのでご覧ください。さて、そのケー100と私の関わりというと話は長くなるのだが・・・ 

 40数年前に運転免許を取ったばかりの頃、当時は日本にもようやくマイカー時代が到来という頃である。一般庶民や若者でもどうにかクルマを持てる時代が始まった頃だった。そんな時代はモータースポーツなんて誰も知らない。もし見聞きしたところで「あぁ、金持ちの不良ボンボンがクルマをブイブイ・キーキー云わせ壊して遊んでる」といった偏見で見られるのが普通であった。まぁそんな状況は40年後の今だってそんなに大きく変わっちゃいないけど (~_~;)  貧乏で財布は軽くてもクルマに興味があった私は、仲間とグループを作り各地の競技に出たりしていた。しかし世間の見る目はどうしてもカミナリ族(やがて暴走族という言葉に取って代わるが・・・)。そんな時代、クラブ組織として社会活動に参加したり交通安全活動をしたり、時には地域の祭りにも積極的に参加して偏見を払拭しようとしていた頃だった。

 ケー100が放映されていた年の冬のこと。仲間が勤めている板金修理工場にたまたま1台の小さい雪上車があった。「雪まつりの当日これを雪上で走らせ、子供たちを乗せてあげよう!」ということになった。しかし、小さな雪上車だから大勢いっぺんには乗せられない。そしてただの雪上車では面白みがないから何か改造を施し、そりを引っ張って大勢を載せようと構想は膨らんだ。ちょうどその頃テレビでは「走れ!ケー100」がヒットしていた。これだと思いそのテレビ画像を参考に機関車の形に作ることになったが・・・まだ家庭用ビデオが現れるもっと前の時代のこと。週1放送のテレビの前でカメラを構えて写すのだが、機関車のクローズアップ映像がなかなか上手く撮れない、準備の時間はどんどん過ぎ去る。最後の手段としてテレビ局に電話を入れ、番組製作プロダクションと直接交渉し、ようやく青焼きの図面と写真を手に入れた。今にして思えば、怖いもの知らずというか世間知らずというか、とにかく若気の至りであった。ただし「営利では使わない」という条件付である。だから料金収入は当てに出来ない、ということは収入源ゼロだから制作費も殆どなしということになる。 幸い修理工場主に理解があり、工場も道具もすべて無償で借りられ、約半月ほど文字通り寝食を忘れ?仲間のKさんと製作に没頭した。先ず雪上車のボディを解体し、木で骨組みを作った上に薄いベニヤで機関車本体を作る。しかしベース車両が本家と異なるため、なかなか本物のフォルムに近づけず、試行錯誤を繰り返す。機関車前部の釜の部分を作るのに苦労した覚えはあるが・・・どうやってあのアールを出したか今では記憶がない。金物屋でボウルを買ったり、トタンを曲げたり、蚊取り線香の缶や灰皿・ゴムホースなど使えそうな廃品を集めあっちこっちのパーツに使った。

 板金塗装や機関周りはkさんのお得意分野、私といえばデザインや木工とそりの意匠、絵を担当。いまどきであれば、鋸やインパクトドライバー、ありとあらゆる電動工具を持っているから簡単に作業が進むであろうが、当時はすべて手道具!そんな苦労をしながら二人を中心にクラブ員総出でどうにか完成。お披露目の祭り当日のオープンパレードでは市内の目抜き通りを自走しようと準備をしたが、最後まで警察の許可を得ることが出来ずやむなくトラックに載せて参加した。誰も本物を見たことがないから、みんな本当にケー100がやってきたと勘違いされるほどの出来栄えで話題を呼んだ。

Cimg0352_2  祭りの本番の2日間は、ちびっ子達で押すな押すなの大盛況。2台の大きなそりに1回20人ほど乗せ3mの積雪の上を力強く引っ張り、休む暇がないほどだった。番組中では主人公が機関車運転席で実際に操縦するのだが、我がケー100は似非運転士が本物そっくりのメークで大野さんかと勘違いされる・・・しかし、実際の操縦は釜部分の狭い空間にいるKさんが、前部のプレートに貼った網の小さな隙間から覗いて運転していた。 煙突にディーゼルの排気ガスを導いたのだが、どこかで少しづつ漏れていた。そして休まず運転を続けるうちガス中毒のような症状となって、一時運転中止のハプニングもあった。そして大盛況の祭りが終わったにも拘わらず、乗れなかった市内の幼稚園児のため、吹雪の中をもう1日出動すると云うおまけも付いた(*^_^*)!!

File0002_3 今回送っていただいた資料出版物の巻末の一部には、その時作ったケー100の写真とともにそんなエピソードの記述もあり、懐かしく思い出しながら見ている。その後、我がケー100は、その図体の大きさのため、収める車庫もなく雨ざらし。雪が解け夏の祭りに何度か駆り出されたのだが、やがてベニヤの車体に傷みが出て1年ほどで解体されてしまった(T_T)。これを機にクラブ事務局に当時の資料が残っていないか探してみたいものである。ともあれ何とも懐かしい思い出を呼び起こしてくれた一冊である。 尚、実際に番組でケー100が走る様子はユーチューブにアップされていたのだった。

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2009年2月24日 (火)

雪まつり⑩あ~終わっちゃった

 嵐のようなtyphoonというか、ドップリと雪まつり漬けdashの一週間がようやく終わり、後片付けも残りわずかになった。5位という成績に参加者一同無念さが漂っているような・・・初めて入賞した当時は、9位でも大満足で大いに盛り上がったものだった。しかし、年々腕を上げ上位入賞が当たり前になってくると、この成績では満足できないらしい。連続入賞の喜び以上に悔しさ半分の気持ちの方が強い。審査直後の打ち上げ慰労会では誰も成績のことには触れず悔しさが感じられたのだが、酔いがまわるにつれそれなりに盛り上がりお開きになったのは午前2時であった。

Dsc00816 まつり期間中は、雪像の前に渋滞がおきるほど終日の人だかり、これほど見物客が来てくれるのはやはりメイン会場への途中だから。どんな良い賞を貰ったところで場所が郊外では見に行く人もいない、製作者冥利に尽きるいい場所だ、だからといって手抜きは許されない。

Dsc00820_4  まつり最終日の日曜は、午後4時から撤収解体作業を行った。例年なら午後3時を過ぎれば見物客も少なくなってくる時間帯なのに・・・ 天候に恵まれたためと、もうひとつはカーニバル会場ではまだ若者向きのロックイベント「豪雪JAM」という催しが3時を過ぎても開催されてたためか例年と違ってこの時間帯でも見物客が絶えることがなかった。そんな中で重機が唸り、スコップを振るって片っ端から雪像を取り壊したのだが、まだかたちある像を、いとも簡単に崩すのはもったいないといえばもったいないし、まつりが終わってしまったもの淋しい切なさが入り混じり複雑な思いがある。

 あれだけ一生懸命作った雪像をあっさり壊すのは非情な気もするのだが、道路に面した場所にあるので、万が一の場合の危険を避けるため解体が義務付けられているのだ。まだ見に来る人たちは気の毒なのだが、あわててカメラを構えて記念撮影をしたり、あっちこっちが崩れるたびに「ワ~」とか「ウォ~」とか言う悲鳴のような声が上がるたびにうしろめたい気がしていた。

Dsc00826  そんな中を一週間寝食を忘れ?作った像はわずか30分ほどで跡形もなくなり、元のように平らになってしまった。「さぁ来年こそ最高賞を目指そう!」なんて今から言ったら鬼も笑っちゃう? 

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2009年2月21日 (土)

雪まつり⑨製作最終日

 「疲労困ぱい」というより睡眠不足?それとも二日酔い?!・・・全て終わったのが午前2時過ぎ(>_<)  で、とりあえず画像のみ。Cimg7381 Cimg7382 Cimg7390 Cimg7400 結果は残念ながら「十日町市文化協会連合会長賞」・・・多分5位相当。上には上がいるものだ。さすが上手い。あの風雨の悪いコンディションで条件は全く同じ、完敗でした。詳しくはこちらの公式サイトで。来年こそナンバーワンgood

さあ仕事仕事!!

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2009年2月19日 (木)

雪まつり⑧ 追い込み作業

Dsc00801  いよいよ明日が最終日。マァいつものことですが、残業しても間に合いそうもない気がしている(>_<) でもみんなが力を合わせると何とかなるんです。凄い集中力とパワーには驚きます。製作が忙しく寝るのは深夜。という訳で更新もままならない。とりあえず途中経過の1枚を貼っておきます

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雪まつり⑦ アクシデント「ア~~ッ」

 製作作業は佳境に入った。日中は雪も小降りになる時間もあったのだが、午後7時の製作開始時間を過ぎるとまた激しく降りだした。大胆にスコップを入れ荒削りをしたいのだが、削るにも順番があるのでなかなか全体像が見えてこない。最終日まで後3日、ウルトラCのマジックでも使わないと最後の完成もおぼつかない気がしてきた。こんなペースは例年のことだが、やはり終盤は焦りが出てくる。

 そんな時、よりによって鯨の尻尾の像を作っていたところから「ア~~ッ」と大きな声がした。ハッとして見たら尻尾と胴体のつなぎ目のくびれた部分から崩れていた。下敷きにならなかったのが不幸中の幸い。上の部分を軽くするように削り込んでから下のくびれを刻めばよかったものを・・・上が重すぎて崩れたようだ。7分通り出来上がっていたのだがまた最初からやり直しだ。こんなことは珍しくはないが、最終日の仕上げの頃だったらやり直しは利かない、今でよかった。そんなこともあって今夜は30分の残業。今年の雪像は今までに無く掘り込みが深い。いちばん深い場所ではおよそ2メートルもある。そのオーバーハングの中で作業をしていると時々怖さを感じる。まして鯨の件があったからなおさらだ。残された期間は2日だけ、余り早くから仕上げると線が丸くなりシャープな感じが薄れてしまうので最後の2日が勝負。だから明日は何時になるか・・・今夜はアップする画像もない、あの雪が降る中で刻んでいるとカメラを取り出す余裕なんて無いのだ(*_*;

 明日は仕事のやり繰りをして、出来るなら午後は休んででも雪像作りをしないと間に合わない気がしてきた。いよいよ「祭り馬鹿モード」になってきた(*^。^*)。

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2009年2月16日 (月)

地域の連帯感と雪まつり

 十日町の雪まつりは他所の雪まつりと違い、雪像が1箇所に集中していないため、観光客からは不親切で見づらいと言われる。何とかしようという声は以前から耳にしている。確かにクルマがなければ全部を見て回れないほど、雪像は広範囲に点在している。地理に明るい地元住民でさえ全てを見るのは困難なほどだから、遠来の観光客に不評なことは明らかだ。

 しかし、このまつりが「観光のためのまつり」に変化してきたのは、名が知れ渡り有名になってからのこと。もともと暗い冬を乗り切るため「雪国の人たちが明るく楽しめる住民のための冬の行事を作ろう」というと発想から始まったことで観光客相手の行事とは性格が違っていた。そして当初から雪像の出来映えを競い、順位を争うという事でそれぞれの地域た団体が団結、大げさに言えば「それぞれの参加地域や団体の威信や名誉をかけた競争」という面があった。

Photo  どこの参加団体も製作作業終了後は、「本部」などと称した現場近くの集会所や仮設テントで、「反省会」とか「打ち合わせ」と言われる酒盛りが必ず行われる。そこに集まるのは製作に参加する人たちのみならず、地域のご婦人方も手料理や温かいお汁などを持ち寄って、老若男女一緒に酒を酌み交わし親睦を深める。つまり雪まつりは製作そのものが「地域の祭り」という面が強い。極端に言えば製作期間そのものが祭りであり、審査を終わった後の本当の「雪まつり」は、もう地域としては祭りの後なのだ。そういった地域を盛り上げ連帯感を育む大事な行事だから、近年では製作経費が実費換算で1基数十万~百万円を超えるようになっても、7~8万円ほどのわずかな補助金以外は、町内会や町内住民からの寄付や援助、メンバーが勤めたり経営する会社などの資材を無償で提供していただくことができるからやれるのだ。

 もし観光客優先で雪像製作会場が地域から離れた場所になってしまったなら、町内・地区の祭りという感覚が薄れ、鍋や鉢に盛った手料理を持って下駄履き?で気軽に駆けつけ気軽に応援するという雰囲気にはなれない。作業が終わってその場ですぐに反省慰労会ができる環境があればこそ、地域と密着した祭りとなる。それがこのまつりの大事な要素なのだ。また、雪像の最終仕上げの段階までお互いライバルの作品がどんな作品になるのか何ができるのか秘密にしていて分からない、それぞれの製作団体が雪が融けにくいような日当たりを考え雪像の向きを選んだり、背景が暗い夜空とか壁で見栄えのする借景に拘ったり、予算規模や製作に対する取り組み、参加人数も違うからそれぞれが独自の取り組みをしても比較されることがないから変な競争心を持ったり卑屈になったりすることもない。競うのは純粋に雪像の出来映えだけである。そんな訳だから大きな会場に雪像を集中させることには抵抗がある。互いに近い場所であれば近隣町内でいくつかが集まって同じ場所で作ることはできないはずはないが、手鍋下げて歩いて行ける程度でないと難しい。観光客のための「ひと場所に集約された雪まつり」とするためにはどうしたらいいのだろう。

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雪まつり⑥ この期に及んで

Dsc00788_2  今夜から製作最終日までは連日の夜間製作作業だ。必要な雪は十分に確保しもうこれ以上いらないというのに・・・この期に及んで寒波がやってきた。今朝までは土手にフキノトウが顔を出していたのだが、みぞれが雪に変わったのは午前9時前から。そして雪は激しさを増し、昼近くからは1時間に3センチのペースで降り積もった。その吹雪の中で資材設備担当の電気屋のOさんが、ひとりモクモクと夜間作業に備え照明仮設作業をしていた。夜7時からの作業開始時間頃には、日中からの新たな積雪が30センチ近く積もっていた。この雪を除けないと昨日の仕事の続きができない(>_<)。余計な作業が増えてしまい、いまさらながら降った雪が恨めしい。

Dsc00792 気温-3℃、時折横殴りの吹雪の中、握ったスコップの金属部分とゴム手袋が凍り付いて離れない。今まで暖冬だったので、こんなことはこの冬始めてだ。そんな寒さの中で鼻水を垂らしながらひたすら荒削りと拝雪をしていると何のため?と思ってしまう。 根っから雪像作りが好きな人もいれば、町内の付き合いで渋々来ている人もいるだろう。だがこんなことが万が一のときの近所の連帯感に通じていることを、あの地震のときに痛感した。これは雪像製作などこうした地域行事の効用でもある。雪像作りは単なる観光のまつりという面だけではなく、地域の連帯感や団結力を醸成する側面を持っているのだ。このことについては別の項目で書くことにしよう。

 

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